#不登校は不幸じゃない
肉体的な激しい暴行を受けるなどのイジメには幸い遭わなかったが、仲間に入れてもらえないことが何回かあって、しかもみんなそれなりに優しい子だったので、あからさまに外すというよりも口裏を合わせて私にはいい顔して外す、みたいな感じが多かった。
その経験のおかげで人の嘘に気付きやすいという能力を得た。
小学校の治安もまあ悪く、それぞれの女子・男子がそれぞれの悪口を言い合いうライアーゲームのような環境だったので、私たちは自分を守るために人を信じない子になった。
その状況がさらに悪化したのが小4くらいの時で、地元のリーダー格の女の子と同じクラスになった。
彼女は常にヒエラルキーの最上位にいて、あからさまにターゲットを決めてしっかり陰湿なイジメを施すタイプだった。
しかもターゲットは結構ランダムで、ある日は彼女の側近的な子になったり、ある日はクラスで一番おとなしい女の子だったりした。
その頃、私は協調性の無さから立派な一匹狼として成長しており、ターゲットになることが多々あった。例えば窓を見ただけなのに窓側にいた取り巻きに「ねえアイツが睨んできたんだけど~」と言われたり、謎に服装をディスられたり、朝来たら私の机がチョークの粉で真っ白になっていたりした。今思えば大したことないのだけど、休み時間も社会科見学も修学旅行も居場所がなかったのが辛かった。
ただ私もかなり気が強かったので、「頭悪いくせにうるせえんだよ死ね」とか「言いたいことあるんだったら直接言ってこいやブス」とか言ったり、視界に入ると中指を立てたり、機嫌が悪いときは机を蹴り倒したりと順調にヤンキーの才覚を発揮しており、対立は深まっていく一方だった。
小学五年生の時、「あいつらと同じ中学校に行きたくない」と言って中学受験をすることになり、地元の小さな塾に通った。そこで出来た友達はそれなりに仲が良くて、楽しかった。
受験の結果、個性を大事にする中高一貫の女子校に合格した。
たまにグループの輪から自主的に外れることもあったが、サバサバした大人な子が多く、気に食わないところは目の前で指摘したり、変わった人を面白がる雰囲気があり、伸び伸びと過ごせるようになった。特に高校三年間は学年の問題児が集まる軽音部に所属していたのもあり、学校はとても楽しかった。
大学は変人が集まると噂の京都大学に行ったが、自分の通っていた女子高に比べると普通の人が多く(よく考えたら地元で一番の進学校から真面目な子達がやってくるので当たり前なのだけど)、私は周りに合わせられない変な子扱いをもう一度受けるようになったが、流石に皆大人だったのでやんわりと指摘されるくらいで済んだ。
今思えば小さい頃から本当に性格が悪い子だったし、自分は良い子だと思っていたので余計にタチが悪かった。だからそれなりに合わなかったことも納得がいくし、それでも仲良くしてくれた周りの友人や見守ってくれた大人たち(といっても私の保育園の先生と、小学校1年の時の担任の先生の二人しか記憶にはない。彼らは私の問題に対して寛容で、私の才能を伸ばすことにフォーカスしてくれて、私はとても好きだった)には感謝しても仕切れない。
でも、保育園からのどの瞬間を思い出しても、私は学校に行くのが嫌いだった。
楽しかった高校でさえ親に秘密で仮病を使い倒した。たまにバレて怒られた。
学校に行った日は出席を取らない授業をサボった。たまにバレて怒られた。
遅刻もたくさんした。学校の最寄り駅まで行って、そこにあるマックから学校に休みの連絡を入れることもあった。
36.9度の体温で早退できるという情報を仕入れ、一番体温の高い昼食後に保健室に行って早退を繰り返した。脇にカイロを仕込んで体温計を使うこともあった(とんでもない高熱が出て病院に連れて行かれる可能性が高まるので最終奥義)。
周りに恵まれ活動もマックスで楽しかった高校二年生の時でさえ、朝になるとひどい偏頭痛がして、通学のための電車の音を聞くと立ち上がれなくなるくらいの痛みに悩まされ、休んで病院に行った。
それぐらい、自分の意思と関係ない場所にい続けて、自分が興味のないことをやり続けることが、私にとってストレスだった。
じゃあ学校に行かずに何をしているのかというと、家の近くのミスタードーナツでひたすら本を読むか、親が出たのを確認して家で一日中webサイトやwebグラフィックを製作するか、ひたすらピアノを弾きながら声が枯れるまで歌うか、アルバイトをするかだった。
それを聞いてきっと多くの人は「甘え」だと言うのだと思う。
ただ「学校に行かなくても良い」となっただけで、私の心は何よりも軽くなったし、実際学校に行かずに打ち込んでいたことは今の仕事にしっかり活かされている。
でも、私の周りには、それを良しとしてくれる友達も大人もいなかった。
二度だけ、親が学校に行かなくても良いと言ってくれたことがあった。
一回めは中学受験で勉強するから学校を休みたいと言った時。
一回めは中学受験で勉強するから学校を休みたいと言った時。
二回めは頭痛がひどかった時。医者に頭痛の原因がわからない、異常がないと言われ、痛がる私をとにかく学校に行かせようとした母親を見て、父親が「本人が痛いって言ってるんだから、無理して行くことないよ」と言ってくれた時だ。
あの時のことは今思い出しても安心で涙が出る。自分で逃げられなくなった人間に逃げ場を提供できる存在ってとても大事よね。
一つだけ後悔していることがある。中学の時、同級生にうつ病の子がいた。私は彼女と話すのが好きだったので、毎朝連絡して学校に来させようとした。彼女は本当に頑張って来てくれたけど、進級してクラスが別々になってから、「来てるよ」という連絡をくれながら登校していないことが結構あった。当時の私は「学校に行かないことは悪」だと刷り込まれていたので(自分もサボるくせに)、彼女が学校に来ていないことを知って「それでいいの?ダメでしょ」と怒ってしまった。
今考えると「それでもいいんだよ」といって彼女の家に行くなり、外でぶらぶら遊ぶなりしたら良かったなと心底思う。彼女が好きなのであれば、せめて私が彼女の逃げ場でありたかった。
彼女は私に嘘をついたことや、学校に行けないことを何度も謝っていたけど、結局学校を辞めた。通信制の高校に行って、その後何度か会ったが今何をしているかは全く知らない。
学校が嫌いな学生さん、学校嫌いな子供を持っている親御さん、本当に大丈夫なんですよ。今はオンラインでの学習サービスも充実しているし、今後拡大していくから、学校に行かなきゃいけない理由はどんどん減っている。問題児だった私も今楽しく生きている。
9月は子供の自殺が増えるらしい。
学校に行かないことによって生じる問題より、いざという時に逃げ場がないことによって生じる問題の方がよっぽど深刻だ。
今日で夏休みが終わる。
少しでも多くの子供達が無事に明日を迎えられますように。