ドナドナ改めて読むと怖い



私には特技がある。
それは、目の前の人を無条件で愛せるというものだ。

それを培ったのは多分16歳くらいだろうか。バイト先でどんなお客さんが来ても、その人の存在丸ごと愛おしいと思うことで自分も我慢することなく自然と良いサービスが出来る、ということに気付いたのである。

やり方は簡単で、自分の中の「愛する」というスイッチをパチッと入れるだけ。
すると途端に、
「ああ、この人も一生懸命生きてきたんやなあ」
「こんなに辛いことがあったのに今笑顔なのほんまに尊いなあ」
「この人が今誰かに必要とされていてよかった。幸せや…」
という気持ちになれるのだ。

結構気持ち悪い特技だとは思っていて、なぜそんな風に思えるのかとか、それは表面的な思い込みなのではないかとか、色々言われるのだが、私としてはわからんけど愛せるものは愛せる、ので何も説明が出来ない。ただ、目の前のひとが今日までの日々を積み重ね、呼吸をし、存在していることそのものが尊くて仕方なくなるのだ。

この愛情スイッチを入れた私はだいたいの人類は愛せる自信がある。
言葉の通じない人でも対応可。自分を傷つけたり、搾取してくる人でもOK。

ただこれが恋愛になってくるとややこしい。なんでも許せてしまうし与えてしまうがゆえに、いわゆる”ダメ男”を甘やかしてしまうからだ。
ワガママ?しゃーないなー。塩対応?そもそも気にならない。浮気?お好きにどうぞ。暴力?まあ死なない程度なら。みたいな。
私はこの状態の自分を「スーパーボランティアモード」と呼んでいる。
利益も愛情も必要としない。ただ彼が存在しているというだけで尊いのだから、この世にいるだけで私にとってはプラス。自分のもてるリソースを注ぎ込み、存在しているという事実を愛し、彼に「自身は誰かしらに確実に愛されている」ということを感じてほしい、私がいなくなっても、私がかけた言葉や愛情が彼の心を守りますように、という一心で愛を届ける。オリンピック委員会もびっくりのボランティア精神である。

と、自分でも異常だなと思うのですが。
私が全財産を貢ぎまくることもなく、DVでボロボロになることもなく、今も健やかに生きているのは、この「愛情スイッチ」はあくまで「スイッチ」だからであり、オフに出来るからである。

ただしオンの時と違って、オフにするには準備が必要だ。
何かしらのきっかけで、「オフにしよっかな〜」と思い始める。そこからオフにするかどうかをしばらく考える。別にオンのままでも死なないけど、オフにした方が良さげだな〜どうしよ〜という期間を経る。

自分としてはこの期間が実は一番辛い。

なぜかというと一度オフにしてしまうと、よほどのことがない限りもうオンには出来ないからである。これも理由はわからない。そしてオフにしたらその人に対して今まで感じた愛おしさや、美しさなど全てがどうでも良くなってしまうのだ。その人に対して、1ミリも関心を持てなくなってしまう。
そのままオンにし続けていれば感じたかもしれない愛おしさを、もう感じられなくなることが寂しい。一度手放してしまえば、その寂しささえも消え去って「なんで私はそんなにセンチメンタルになっていたんだろう」と不思議に思うのも分かっているからこそ。幸せな夢を見ていて、夢だと分かっていて、起きたらどうでも良くなっていつの間にか忘れてしまうことも分かっていて、それでも起きたくないあの感じ。

まあただ「オフにしよっかな〜」と思い始めた時点で結局「いつかはオフにするしかない」という方向性は確定しているんですよね。悲しいことに。ただその心の整理に時間がかかる。最低でも1ヶ月はかかる。だいたい3ヶ月はかかる。この時期はなんていうか、ドナドナみたいな気分である。売られて食肉にされる牛を手塩にかけて育ててるみたいな。そして私のダメなところは、毎日「今日こそは…」と思うのだけど、もうちょっとこの破滅的な美しさに浸りたいな、とか、まだ違う道があるかも、と先延ばしにしてしまうところだ。牛がどんどん肥えていく。これから殺されることも知らず、愛情という名の餌を欲しいがままに貪っている。

そして、運命の日がやってくる。といってもそれも「この日にしよう」と決めるわけではなくて、たまたま酔っ払っててノリが良いからとか、超忙しくてテンション低いからとか、ちょうど相手とラインしていたからとか、本当に適当な理由で「あ、今日やな」とふと思い立ち、「えいやっ」でオフにする。パチン。
さよなら、私の愛おしい人。そして出会ってきた美しい感情たち。来世でまた会いましょう。
画面の向こう側、受話器の向こう側で焦っている相手の様子が窺える。そりゃそうだ、ついさっきまで自分に無限の愛情を注いでいた人間が突然、静かで冷たい言葉で終わりを告げるのだから。

この瞬間、表面上の対応とは裏腹に自分の中では「うわ〜スッキリした〜!!自分オツカレ!いやいや、何でもっと早くオフにせんかったんよ〜」みたいなちょっとしたお祭気分だったりする。もう何と言われようと、どれだけ引き止められようと、何も感じない。愛おしさもその時の温もりも思い出せないが、思い出せないことに何の悲しみも覚えない。夢から覚め切ってしまったら、もう終わりなのだ。

無償の愛とか言うけど、可処分所得も可処分時間も可処分精神も限られていて、しかも常に損益分岐点が変動する中で、ちょっとしたタイミングで愛情が赤字状態になることって正直ありませんか?しかも愛情を注ぐに値する優先順位みたいなのがあって、その優先順位の評価軸は人それぞれだろうけど、何かのきっかけで順位は簡単に変動すると思うんですよね。
そして、どうしよう…と悩み始め、ある人は怒り、ある人は嘆き、ある人は別れると。

ただ多くの場合、こと恋愛関係においては、お互いのスイッチがオフにならないためにどうしたら良いか話し合ったりするんでしょうね。「オフになりそうやけど、どないすんねん」みたいな。私の一存で終わりが決まるような関係性を構築している時点で、私はだいぶ不健康なのかもしれないなあ。