朝を迎える
昔、宇宙で一番くらい大切な友人Aから深夜2時に「今から死のうと思ってる」という趣旨の電話がかかってきた。
「最後にありがとうとごめんねだけ伝えたくて」と言われた。
私はその時、Aの自宅からに300km以上離れた場所にいた。もしAが自宅付近にいるのであれば今すぐ駆け付けたかったが電車はとっくに終わっている。震える指でGoogle Mapを開いた。車で7時間ほど。始発の新幹線まであと4時間。乗って、Aの最寄り駅に到着するとしても7時間以上かかる。行ったとしても、そこにAがいる確証はない。
「じゃあ、そろそろ行くね」と言われ、私は「切らないで」と叫んだ。
自分が「もうこの世界から消えてしまいたい」と思っていたときに考えていた選択肢を、ありありと他人が実行するところを想像して、自分の時以上の絶望が私を襲った。
その間も数時間に渡って、時に諭すように、時に泣きながら、私はいかにAのことを愛していて、Aがいなくなったら悲しいかを伝え続けた。
それでも私の音声はあまりにも無力で、言葉は宙に虚しく消えていってるような感覚だった。
「私が幸せにするから、死なないで」と言ったが、「もう疲れちゃった」とAは言った。
電話越しに、背景の音に耳を傾ける。何か場所のヒントはないか。ジャズのような音楽や、救急車のサイレン、子供の笑い声。まるで”最期”という名前のついた別の時空にいるような気分になった。
「もう自由にさせてほしい」と言われた。
明け方の5時くらいになり、駅へ向かった。いてもたってもいられず、早く出すぎた。始発の30分前に駅に着き、家にこもっていても大丈夫なように必要な食料などを買った。30分が永遠のように長く感じた。
あいにくその日の始発は満席で、指定席も自由席も座れる場所がなかった。
私は通路に座り込みながら、窓の外の白んだ空を見上げていた。どこか旅行へ向かう女子大生達の話し声を聞きながら、3秒に一回はGoogle Mapを開いて現在地を確認した。まだ目的地へは遠い。
もし、1秒でも相手の動向を見逃したら、死んでしまうかもしれない。寝る気も起きず、ぼーっとした頭で考えた。
自宅にいたらいい。いなかったら。亡くなっていたら。全てのパターンを考えて出来るだけ平静を取り戻そうとしたけど無理だった。私はずっと「もう自由にさせてほしい」という言葉が引っかかっていた。
Aは「もう疲れちゃった」のに、私がAを生かし続けようと手段を講じることが、あまりにも暴力的に見えた。どうか亡くなってませんように、と願う心は100%私のエゴで、Aの生きる苦しみを肩代わりできる訳ではない。その苦しみは、和らげることはできたとしても、A自身が向き合い続けなければいけないし、何年生きても幸せなこともあれば悲しいこともある。その状況に私が縛り付けることが本当に正しいのか、もはや分からなかった。
人は居場所があれば、愛されていればきっと大丈夫だと信じていたけど、私がAに注いできた愛情はAが辛い時に全く作用せず、むしろ追い詰めているような感覚に心を潰されていた。
その日会う予定だった人たちにも、ポツポツとキャンセルと謝罪の旨を送った。大事な商談などがあった訳ではないが、あったとしても何も感じなかったと思う。大切な友人の命に比べたら、どれだけ大きな商談も私にとっては全て無価値に思えた。
新幹線を降りて在来線に乗り換え、座席でリュックを抱えながら私は意味もなく涙を流していた。不安と絶望と後悔と無力さと疲労と、色んな感情が喉につっかえてうまく呼吸ができなかった。もっと早く動いてよ、と到着するまでの1秒1秒に苛立っていた。
Aの自宅に到着すると、本人がそこにいた。
すぐさま抱きしめて、私は泣きながら遅くなってごめんね、辛かったね、と言った。
Aは無言でかすかに首を振った。
電話では無力だっただけで、抱きしめたらきっと何か力になれるのでは、と思っていたけど相変わらず私は無力だった。人の心は、動かせるようで、繋がっているようで、全て錯覚だったのだな、と改めて思った。
*
あの夜、もし電話に気付かず寝続けていたら、と思うと今でも胸が締め付けられる。
人はそんなに簡単に死なない。けれども死ぬ時は本当に死んでしまう。
「生きてたら良いことあるよ」と言うけれど、死んだら良いことも悪いことも起きない。良いことなんていらないから苦しみから逃れたい、そんな人の人生に、私はどんな花を添えられるのだろうか。
「命を落とす人、死ぬより辛い人の絶対数を減らすシステムをつくる」というビジョンを掲げながら、生きる意味を見失った誰かに、生きる理由を見つける手助けが出来ているのだろうか。
次の朝を迎える楽しみを、誰かに届けられているだろうか。命を落とす理由を取り除けているだろうか。そんなことを私が背負う必要なんてどこにもないのだろうけど、今の私にはそれ以外にすべきことが思い当たらない。