嘘を愛しすぎてる話




#不登校は不幸じゃないでチラッと触れたが、私は嘘に気付くのが割と得意である。
というか、大体「まあ本当かわからんけどな」みたいなテンションで人の話を聞いてる。信じるのがものすごく下手なのだ。
だから例えば異性に優しくされると「裏があるんじゃないか」と思ってしまうしハニートラップか結婚詐欺師の可能性も考える。誠実な人にとっては迷惑な話である。
信じて裏切られる悲しみと、最初から嘘だと思う悲しみでいったら多分後者の方が若干軽いのでそうすることを選択しているのだと思う。寂しい防衛本能だと自分でも思う。
だがあまり直せないし、直す気もない。なぜなら、嘘であればあるほどその人の真実が分かって面白いからだ。
「相手が嘘をついてでも守りたかったもの」に思いを馳せるのが結構楽しい。そこには割と本人さえも気付かないかもしれない真実に溢れている。
真実を仮定し(あるいは真実を知っていながら)目の前の人が発する言葉を観察する。もしそれが嘘だった場合、それを完全に信じ込むフリをして、相手から出来るだけ多く言葉を引き出す体制を整える。そうすると、相手は嘘をつくという手段を使って本当の自分をさらけ出すというなんともパラドキシカルな状況に陥る。私はこういうのが結構好きだ。
ある人は自分を大きく見せるため、ある人は自分に有利なように進めるため、ある人は私を傷付けないため。どの理由でついた嘘も、相手の守りたいものが分かった途端にとても愛おしくて大切にしたくなる。最後まで気付かないフリをして、嘘をつきたくなったその人の守りたかったものを私も守れたらいいなと心のうちで静かに思う。

人の嘘はヤバイものから可愛いものまで、意識的なものから無意識的なものまで幅広く、この世は嘘で溢れている。
「これは真実だ」と断言できるものなんて意外と少なくて、それを本人がどう表現しようと、本人の自由だ。法を犯すレベルになるとちょっと面倒なのでほどほどにしてくれとは思うけど、もし本当に騙されたくなければ表出している事実を拾い集めて対応すれば済む話である。

まあだから逆に嘘を正さなくてはいけない場面は本当に面倒くさいんですよね。相手が嘘をついてると分かっていて、どう相手のメンツを潰さないように真実を伝えてもらうか考えなきゃいけない。怒らないから最初から本当のこと言ってくれたら工数が少なくて済むのにな。
私もよく適当なことを言ってごまかそうとするので、色んな人に「仕方ないなコイツは~」ってたくさん許されてきたんだろうなあ。みなさんいつもありがとうございます。